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房総頼朝伝説(24)安房国西部の伝説②

南房総市富山町には「頼朝道」なる通りがあるという。
頼朝の名が冠された道は、千葉県内じゃ此処だけじゃないかな?

R127(なぎさライン)から市部の交差点を入り、踏切を超えたら小道を右に入ります。
1108131.jpg ・・・ウウ、期待はしてなかったけど、全力でフツーの住宅地だな(´д`;)

すぐに「岩井の大蘇鉄」という看板が現れた。頼朝が「(*´∀`)すごいじゃん!」と褒めた蘇鉄。
1108132.jpg 頼朝伝説のある木というのは、犬掛の逆さ柿のようにオリジナルは枯れてしまって2代目3代目になってしまっている木がほとんどです。
しかしこの蘇鉄は樹齢1000余年というから、830年前の頼朝が見た蘇鉄そのものという事になりますね。

さて、この先に「頼朝橋」があるはずだけど・・・
1108133.jpg イヤな予感・・・まさかこの橋が?
予感的中(;´Д`)
1108134.jpg しかも橋の名前がマジックで書いてある。・゜・(ノД`)・゜・。

頼朝橋を渡ったところで頼朝道は一旦終わっているが、すぐ近くに頼朝伝説の地が複数あります。
DSCN3214.jpg 頼朝が願掛けしたという岩井神社。

またその近くの旗竿藪。
1108135.jpg
DSCN3204.jpg

さらに館山道沿いの峠道を富浦IC近くまで一気に南下、八束小学校近くに「おっ越し坂」があります。
頼朝一行が、この坂を通ってお越しになったからこの名になったそうで。
(帰ってから気が付いたが、正確な場所は写真のもうちょっと奥だそうだorz)
1108136.jpg だったら「この坂を通ると出世する」とか、ありがたい伝説が出来上がってもよさそうに思うけど、実は1614年、館山藩主里見忠義もこの坂を通って江戸城へ向かっています。
単なる節句の挨拶程度の軽い用件だったのですが、万が一江戸城落城の際には三河への海上脱出ルートとなる江戸湾の入り口を外様大名に管理させたくない幕府に言いがかりを付けられ、館山藩はボッシュート、忠義はそのまま島根に事実上の流罪となり、2度と安房に戻れぬまま29歳で亡くなりました。

話がそれました。
R127に戻って南房総市小浦の弁天温泉下にも頼朝伝説があります。
1108137.jpg小浦の弁財天。
DSCN3234.jpg
そもそも弁天温泉は、この弁才天にお参りに来た初代が源泉を発見したのが始まりだそうだ。

再びR127を南下、館山バイパスに入り富浦IC近くのトンネルを抜けると如何にも南国らしいヤシの木の並木道が現れる。(館山に観光で来た事のある人は記憶にあるかも)
この、トンネルを抜けた直後、右手に見える川名のネームプレート辺りが「頼朝免(らいちょうめん)」と呼ばれる土地だ。
1108138.jpg向こうに見える山は頼朝が参拝した那古観音。

那古観音へは現在は海沿いのr302から参拝するのが一般的ですが、実は1703年の元禄大地震で安房地方の地形が激変する以前は船を着ける事も出来ない断崖絶壁だったそうです。
ですから頼朝の時代は内陸側、すなわちこの川名の辺りから那古観音に参ったようで、その折に頼朝が何らかの免許を与えたのがこの「頼朝免」の名の由来ではないかという事です。
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